80年代シティポップとユーミンとK..

2023年1月9日

数年前からシティーポップという日本の80年代の音楽が世界でトレンドになっている。代表的なミュージシャンとしては竹内まりや、松原ミキ、山下達郎等があげられます。
何故、80年代の日本の音楽が突然、世界中の音楽ファンからか支持されたのか、それはやはりyoutubeの影響が大きくいまやyoutubeは音楽のタイムマシン化した装置とも言えます。いつの時代の音楽に、いつでもどこでもドアのように行けるのです。80年代の音楽は社会的に言えばバブル前の時代で、70年代後半から始まったニューミュージックな音楽で、それまでの抒情派フォークからユーミンのような都会的な洗練された音楽へと転換していった頃でした。まだCDよりレコードが支流でした。海外のミュージシャンもAORと言われたボブ・スギャクスやボビー・コールドウェイ、クリストファー・クロスと言った大人向けの落ち着いた楽曲が沢山ありました。
日本のシティミュージックも海外のAORの影響を受けている気がしますが、日本ならでわのより繊細なアレンジと楽器構成で構築された楽曲は、日本独特の音楽を醸し出しています。80年代という時代は、ネットやデジタル化され90年代の前でありアナログ時代の最後であり、今思えば良き時代であった気がします。その頃はまだコンプライアンスやパワハラなどの言葉などなく、テレビの仕事もめちゃくちやハードで1ヶ月休みなしとか3日間寝ないで仕事するとか当たり前でした。その頃、一緒にアシスタントをしていたKがいて、彼とは良く会社の車を持ち出し、横浜や茅ヶ崎辺りにドライに行きました。Kは大のユーミンファンでよく車のカーステレオで流していました。その後、別の制作会社でお互いディレクターになり、Kは車を紹介する番組の演出を担当していて、その番組の司会をユーミンの夫で編曲家の松任谷正隆さんがしていました。そうすると時々、自宅に招かれ行くと、ユーミンが料理を作ってご馳走になったりしたそうです。あのユーミンが料理を作ってくれるなんて、何てことなんだろうかという感じです。それから数年後、Kとも会うこともなく次にKの名前を聞いたのはKが病気で亡くなったと聞いた時でした。まだ30歳前だったはずです。あのハードなアシスタント時代を、乗り越えた奴だけがディレクターになれた時代でした。30歳の頃、初めて車を買いました。東京に居ると車などあまり必要ないのですが、見栄を張り買ってしまったのです。買ったはいいもののあまり車に乗らなかったのですがたまに夜、第三京浜を車で飛ばし横浜まで行き、最後に埠頭に一軒だけポツンとある「スターダスト」というバーに寄るのですが、そこの店内に古いジュークボックスあって中には60年代のオールディーズの楽曲しかなく、凄く雰囲気のあるお店でした。帰りにはいつもKから貰ったユーミンの「埠頭を渡る風」という曲をかけると詩と車からの風景がピッタシな感じでした。


「埠頭を渡る風」