脳梗塞Life日々の出来事2
2020.10.3
○個と名前
病院は圧倒的に女性の職場で、看護師の他にもリハビリを担当するセラピストも、半分ぐらいは女性が担っています。退院してからたまに病院に行くと、馴染みの看護師さんやセラピストさんの名前が急に変わっている時があり、少し戸惑います。名前が変わることは結婚するか離婚するかで、離婚は旧姓を選ぶかどうかは本人の意思で決められるみたいです。まあ、どちらにしても結婚したかといって、名前をわざわざ変える必要ってあるのだろうか?戸籍上やプライベートな範囲では仕方ないと思いますが、仕事の現場で名前を変えたからといって、何か良いことでもあるようには思えません。中には結婚したからには「亭主の姓を名乗りたい」と思う人もいるでしょうが、全て右に倣えで苗字を変えるというのもどうかと思います。組織の中で結婚したら名前を変えないといけない決まりでもあるなら、すぐにでも止めたほうが良いでしょう。昭和の時代ならともかく、これだけ男女平等、夫婦別姓とか言っているのですから。もし結婚した男が「何故、俺の姓を名乗らないのだ」などという男であったら、そもそもそのような男とは結婚しない方が良いでしょう。多分、結婚しても何もやりません。
看護師やセラピストは国家試験に合格しないとできない仕事で、かなり自立性の高い仕事のはずです。いざとなれば男などいなくても、十分にやっていけるんじゃあないのかなと思えるのですが。
以前、テレビのディレクターの仕事をしていた時、女性のアシスタントのADがよく付きましたが、正直言って男より仕事ができるし、映像に対する意識も高かったです。女性特有のコツコツと仕事を積み重ねていく我慢強さっていうか、決して才能溢れるということはありませんが、確実に仕事をこなしていきます。看護師さんの仕事ぶりを見ていると、まさにそんな感じですね。その点、男はプライドが高く能書きが多すぎます。セラピストも女性の方が度胸があるっていうか、リハビリに対する気持ちが伝わって来る人が多いです。だから出産で休職するともったいないと思います。
今は男とか女とかではなく個の時代で、その気になれば個人で何でもできるのです。結婚して子供を産み育てる、それはそれで素晴らしいことだと思いますが、いくら自分の子供でも、ましてや夫といっても、自分とは別の存在であるはずです。家族は家族としておき、個のスキルを磨き、さらなる高見を目指すぐらいの心意気があった方が楽しいと思うのですが。以前、入院している時、36歳の看護学校の学生さんが実習に来て、彼女は家庭がありながら、33歳で看護学校に入学してきたことになります。3年間、家庭と学校を両立させ卒業後は、今度は助産師を目指しまた他の学校に編入したそうです。このように書くと、すごいバイタリティー溢れる女性のように思うかもしれませんが、とても気遣いができ気負うことなく、ある意味普通に綺麗な女性でした。結婚は、男と女どちらが上とか下ではなく対等であるべきで、ただ男女の特性というもはあるので、それはそれで順ずればいいのです。最近はイクメンなど言いますが、そのような型にはまらず、夫婦で自然体の中で赤ん坊の面倒を見ればいいじゃないですか。ただでさえ子供を妊娠し産むことは、とてつもなく女性にとって精神的にも肉体的にも負担がかかり、場合によっては命に関わることさえあるはずです。ですから炊事洗濯掃除ぐらい少しは男にやらした方がいいのです。
女性だからといって組織や家庭の中に埋もれず、個というものを大切にすべきだと思います。たかが「名前」されど「名前」自分の生きてきた証として、本来の自分の「名前」というものをもっと大切にした方が良いのではないでしょうか。
2020.9.17
○脳梗塞体験ブログを掲載して一年…
9月で脳梗塞ブログをupしてから1年経ちます。このブログって、そもそも誰か見ているのだろうか?これまでブログを「見てもらいたい人」や「見たいという人」にはアドレスを教えたりはしていますが、それほど沢山の人に教えたわけではありません。
サイトにカウンターも付けていないので、1日に何回ぐらい閲覧されてるかも分からないのです。特に反応みたいな物もないので、もしかして、誰も見ていないかもしれません! ブログは誰かに向けて書いてるわけではないので、ただの独り言です。ですから少し分かりにくい箇所もあるかもしれませんが、あまり気にしないで読んでください。ブログを書いてると、時々さほど話をしたことがないのに、自分のことをすごく知っている人がいて、自分はその人のことを、ほとんど知らないのに何か不思議な感じがする時があります。
最初はブログで小銭でも稼ごうと、アドセンス広告を表示していましたが、広告収入といってもバカバカしいくらいの金額にしかならないので、広告は全て非表示にしました。広告表示がない方が、さっぱりして文章が読みやすくなりました。
このブログはAmebaやgooなどがやっている、無料ブログサイトを使い作ったブログではなく、個人のサーバーにブログのデータをアップしているので、googleやyahooのキーワード検索からしか、ブログに入る方法がないのです。昔はデータをアップしタイトル検索すると、すぐにトップ画面に表示されたりもしましたが、今はSEOという検索に引っかかるためのノウハウみたいなものがあり、そういった処理をしないと、キーワード検索しても全く表示されません。しかも最近は、そのSEOもオワコンと言われてるぐらいです。そもそも今の若い人は、検索そのもをやらないらしいです。まあ、誰も見なくても、文章を書くことその物がよいリハビリで、一応頭も使いますし、文字を打つのもできるだけ、麻痺した右手を使いキーボードを打っています。
*これが証拠の写真です。
頭を使うと言えば、脳梗塞の体験を元にしたシナリオですが、半分ほど出来上がり、エンディングも見えていますが、ストーリーの中に何か「伏線」を置かないと、ただ怖いだけの話にしかなりません。伏線というのはドラマが終わった時に、「あ、そうだったのか!」というような物を、ストーリーの中に忍ばせることで、これが上手く出来るか出来ないかで、ドラマとしての面白みが、だいぶ違ってきます。ただこれがなかなか難しいのです。今まで、テレビの番組やプロモーションビデオやイベントのマルチ映像など、色々な映像を作ってきましたが、きちっとした「ドラマ」だけは作ったことがないのです。
脳梗塞ブログも、最近は脳梗塞とあまり関係ない事ばかり書いてしまい、何のブログだか分からなくなっています。脳梗塞体験記の「下血」し救急車で運ばれたとこまで載せましたが、その後の手術の事を書くのですが、何か気が重くなってしまい、でもせっかくなので、そろそろ何か書いてまたupします!
2020.9.13
○文学的詩とグルーブ感のある曲の融合「くるり」の音楽
ここ十何年間、あまりきちっと音楽を聴いてこなかったことに気がつき、聴いても何十年も前の洋楽ばかり聴いていました。最近、日本でもすごくよい音楽を演奏するアーティストがいるのだと分かり、いくつか聴いてみました。その一つが前出の「フジファブリック」でもう一つが「くるり」両バンドとも20年近く活躍しているので、何を今更をと言うかもしれませんが、本当に知らなかったのです。「くるり」は、youtubeでフジファブリックを聴いていると、横っちよに「くるり」と表示されるので、何だろうと思い聴いてみる、聴く曲聴く曲すべていい、すごくかっこいい音楽を作るバンドだと分かりました。もし高校生だったら直ぐコピーしていました。ただ知らない間に「くるり」の曲は聴いていて、NHKの番組で「ファミリーヒストリー」のエンディングにかかる音楽が好きで、誰が作っているのか気になっていました。それが「くるり」であることがyoutubeにアップされた「Remember me」という曲でわかりました。「くるり」の良さは曲はもちろんですが、詞が素晴らしいく、何か文学的というか誰にでもわかる言葉で、すんなりと心の中に入ってくる。素直に感動できる楽曲が多い。爆発的な大ヒット曲はないが、どの曲も完成度が高く洗練されている。「くるり」の長いバンド歴をみると、エレクトリックダンス音楽からアコステックな優しい音楽、グルーブ感のあるロックな音楽と時代に関係なく、自分たちの好きな音楽を追求してきた結果、すべてにおいて密度の高い音楽ができていると思う。特にフルオーケストラと共演での「言葉はさんかく こころは四角」の演奏と歌が最高に感動する。もうひとつ「くるり」の代表曲の1つ「バラの花」もいいね。
バラの花/ワンダーフォーゲル/ロックンロール
2020.8.30
○これが最後のボトックス入院のつもり
前回でボトックスの入院は終わりにするつもりでしたが、いつのまにか入院することが決まっていて、断ろうと思いましたがtmsという脳への電磁波治療をしてくれると言う口車に乗り、また10日間入院することにしました。tmsといっても検証段階で、どこまで効果があるのか分かりませんが、昨年入院しているときに脚と腕に何度かtms治療をしてもらい、脚は良く分かりませんが腕に関しては効果があるような気がしました。早速、入院当日からtms治療を行いました。tmsは頭の上部から電磁波を発生する装置を付け「カチカチ」という音を聞きながら20分ほどで終了します。あの「カチカチ」という音にあわせてきっと電磁波が発射され興奮ぎみの脳細胞を抑制するのでしょうが、あの「カチカチ」という音を聴くと何か効いてる感があります。また同時に手足のリハビリを10日間みっちりやります。最初はお決まりの歩行測定で、歩く速さや脚にセンサーを付けて、筋肉の動き具合を視覚化します。いつも思うのですが毎回このようにデータを取りますが、その場で見るだけでさほど活用しているようには思えません。入院時から何度も記録しているので、かなりのデータ量があるはずで、これらのデータを活用しているのだろうか?考えてみると一度も比較したデータを見たことがありません。今回せっかくなので、昨年の退院時の動画と歩行データを、まとめて見せてもらいました。明らかに今より歩行が安定していて、データ的にも完成されている感じです。自分でも以前の方が歩きが安定している認識があったので、最初に履いていた装具を今回持ち込み、基本的な歩行をリハビリをするつもりでいました。ところがまた違うタイプのGSDとい装具を勧められ、あまり気乗りがしないまま、仕方なく使ってみることにしました。使ってみるとそれまで使っていたオルトップというプラスチックの装具と変わらないような気がしましたが、どうしてもGSDという装具を使ってもらいたいみたいです。そんなに良いものなら、何故もっと早く言わないのだろう。患者の為というより、ただ権威に媚びてるだけな気がするが。もっとも、ただで貰えるならいいけど、そんなわけないし。今の自分の脚の状態は、装具の違いなど微々たるもので、もっと本質的な歩行の現状をみてもらいたいし、その為のリハビリのはずです。装具を買いに来たわけではありません。最後に車の運転を障害者対応にするため認知テストみたいなものを受けました。参考程度なものかと思っていたので少し気を抜いてやってしまい、その後担当医から「これじゃあダメだね」書く速さが遅すぎると言われました。当たり前です、右手は麻痺してるから左手で書いているからですというと「あ、そうか!」と言ってました。
○久しぶりのリハビリ室のなので、以前よくリハビリを担当してもらっていたセラピストさんに、会えるのを楽しみにしていました。しかし姿がみえないので聞いてみると、体調を崩して暫くお休みをしているとのことでした。大丈夫なんだろうか、心配です。とても健康的で、すごく綺麗なのに話すと、とても面白い、こんなに見た目と中身が違う人に会った事がありません。一緒にリハビリをしていると、何かコントみたいになってしまい、笑っている時間の方が長いかもしれません。リハビリはしんどいものですが、大変な事を楽しくやる!これこそが最高のリハビリだと思いますよ。あなたはそれが出来る人です。脳梗塞の体験をドラマのシナリオにするから主人公の彼女の役名を本人の名前すると約束をし、一年間ほったらかしにしてしまいました。ごめんなさい<(_ _)>、これから少しずつ書いていきます。怠けないようにシナリオはブログにその都度upしていきます。週一回は必ず何か書きます。楽しみにしていてください!またいつかリハビリを一緒にやりたいですね..。メガネメガネ(笑)
○今回の病室は窓側で、ベッドに寝転がり窓からの風景を眺めると鉄塔が見えます。どこか見覚えのある風景だと思うと、昨年の一月末にいた病室からの風景と同じでした。あの日、朝下血し救急車で運ばれ、またすぐに戻るからベッドを空けておいてくれといい、結局戻ったのは一ヶ月後でした。戻れただけラッキーかもしれません。病室は四人部屋でほとんどお年寄りです。向かいのお爺さんはほぼ寝たきりで、三食ご飯を食べずにジュースばかり飲んでいます。人はジュースだけで生きれるのか?と思っていたら栄養剤のようなジュースのようです。考えたら自分も二ヵ月半、栄養剤だけで過ごしたことがあります。お爺さんはいろいろなところが痒くなるようで、ジュースが無くなるとコールボタンを押しジュースを持ってきてもらい、そのたびにいろいろなところを掻いてもらいます。看護師さんに「私たちは背中を掻く係ではありません」なんて言われてました。
隣のお爺さんは動くことは出来るみたいですが、喋る声を聞いたことがありません。昼間はタオルを被り殆ど寝ています。それでもたまにリハビリのセラピストに誘われて、廊下を仕方なく歩いたりしています。真向かいの方はとても話好きで看護師さんとよく話をしていました。聞くのは必ず自分の年齢です、それで60代と言われるとすごく喜びます。でもどう見ても70歳ぐらいにしか見えません。若くして結婚し、子供を育て家を建て孫まで育て上げたと話していました。なのに今は人工透析する体になってしまったと…。
○途中で部屋を移ってきた患者さんは、完全に寝たきりで、わずかに返答ができるくらいでした。腕と脚が固まり、横向きに近い形で寝ています。栄養は「胃ろう」から注入することで、命を維持しています。まるでバイクにガソリンでも入れるように、空気入れみたいにチュパチュパと栄養剤を入れていました。どうしてこのような状態になったのかはわかりませんが、もう自分で「生きる」も「死ぬ」も選択することはできませんし、意志を示めすこともできません。本人が望んだのならともかく「胃ろう」まで作り、命を繋ぐ意味とはなんだろう。考えてみると、自分も一歩間違えば同じような状態になるとこでした。たまたま脳幹梗塞の場所が少しずれていただけなのか、現に担当医からは寝たきりになり、回復するには難しいと診断されました。寝たきりと言っても多分頭の中は正常で、いろいろなことを考えているはずです。しかし毎日何を考えているのだろうか、もし自分が同じ状態になれば、きっと若い頃一番楽しかったことばかり考え、そこから妄想のように夢を広げているのではないかと…。
○病気をする前、ブログみたいな恥ずかしいことは絶対にやらないと考えていましたが、入院中にあまりにも暇だったので、病気をしてからの出来事や出会った人のことを書き溜めておきました。それでせっかく書いたので、昨年から少しずつサイトにアップしてきました。
長く入院していると、初めて会った看護師さんやセラピストさんでも、共通の知り合いとかいて楽しかったりします。甲府と石和の病院を行ったり来たりした成果です。退院する前日にボトックスでの入院はこれが最後のつもりなので、仲良くなった看護師さんにブログでも見てもらおうとURLを伝えておきました。ブログもまんざら悪くないかもしれません。
○退院の日、最後のリハビリを終えて病室に戻ろうと杖を付き、うつむきながらエレベーターに乗り扉が閉まると、名前を呼ぶ声が聞こえました。どこかで聞いた声だと思い顔を上げると、マスクをしているので、一瞬誰だか分かりませんでしたが、直ぐに「熊ドン」だとわかりました。突然、エレベーターの狭い空間の中で一年ぶりぐらいに会い、何か時間が飛んだような感じがして、あそうだ、ブログに書いたことを言わなくてはと思い、ふと名札を見ると、苗字が変わっていることに気がつきました。もう「熊ドン」ではなくなっていたのです。すぐにエレベーターは着いてしまい「ブログを見て、アドレスは教えた看護師さんに聞いて」というのが精一杯でした。扉が閉まると、そうか「熊ドン」にも幸せが来たんだ!と思い、いろいろと考えることもあったかも知れないけど、君の判断は「正解だよ」って言ってあげたかったな。でも偶然にも最後に会えてよかったな….
○帰りの車の中で、流れてきたニュースは安倍総理の辞任でした。安倍さんも規約通り二期で終わっていれば、名総理で終われたかも知れませんが、規約を無理やり変えて三期も総理をやった結果、いろいろ問題を抱え、最後はコロナでノックアウトな感じです。やはり無理はいけません。ブレずにマイペースだよ!
2020.8.28 ○永遠に愛されるフジファブリック志村正彦の音楽を君に.. 恥かしながら、山梨の富士吉田市出身で、こんなにも素晴らしいアーティストがいたとを知らなかった、フジファブリックの志村正彦だ。たまたま見たテレビの番組で知ったのだが、残念ながら志村正彦は、2009年の12月24日のクリスマスに、29歳で突然亡くなってしまった。原因は不明のまま、いわゆる突然死だと思われる。志村の音楽を聴くと、すぐに奥田民生を思い出す。インタビューでも自ら中学生の時、奥田民生のユニコーンの音楽を聴き、自分の進む道を決めたと語っている。志村の音楽を一言で表現するとノスタルジー、70年~80年代に活躍したアメリカのロックバンドで、トーキングヘッズやカーズのようなリズミカルでいてメロディアスな音楽を思い出す。多分、海外の音楽ファンがフジファブリックを聴けば、日本でこんなバンドが生き残っていたことに驚くだろう。志村の代表曲のひとつに「若者のすべて」という曲がある。ピアノの和音演奏が印象的なこの曲は、聴けばきくほどに味が染み出てくと言うか、10代の頃の一夏の終わりの一時を見事に歌い上げている。Aメロ、Bメロ、Cメロの組み合わせが素晴らしく何度聴いても飽きない。この曲が映画やドラマのエンディングで流れてくるイメージで映像を構築すると、面白いドラマができる気がする。普通、バンドでリーダーでメインボーカルで、作詞作曲を担当していた志村正彦が亡くなれば、即解散だと思うがフジファブリックの凄さは、残ったメンバー三人が志村の意志を引き継ぎ、見事に再生したこと、そして志村のフジファブリックが実現していなかった、武道館コンサートを達成し、志村が亡くなって10年過ぎた今も活躍している。メンバーの山内はフジファブリックは絶対解散しないバンドだという、それは志村正彦が作ったバンドで、彼がいない今、志村以外が解散を決める権利がないということだろう。今は存在しない29歳の志村正彦は、永遠に愛される存在になったのだ。
○脳梗塞のリハビリとセラピスト
脳梗塞を発症して一年半になります。この間いろいろなセラピストが来て、手足喉のリハビリをしてくれました。そのお陰で動かなかた手足が動き、物が飲み込めるようにもなりました。まさか自分が脳梗塞になるとは考えたこともなかったので、脳梗塞イコール寝たきりぐらいのイメージしかありませんでした。発症から1年半経過した今、脳梗塞のリハビリやセラピストについて気がつくことがいくつかありました。
そもそもセラピストという仕事が今一よく分からないのでgoogleで調べると、セラピスといっても心理系の心と体を癒すことを目的としたセラピストと、国家資格のいる治療療法を目的としたセラピストがあり、脳梗塞などによる半身麻痺のリハビリを目的としたものは、後者のセラピストであることがわかりました。最初はセラピストというので、心のケアーみたいなこともするのかと思っていました。ある日突然、脳梗塞になり半身麻痺により生活が一変することで、あまりの環境の変化に付いていけず、鬱病になる患者もいるそうです。なので心のセラピストぐらいいても良い気がしましたが…。
脳梗塞になり入院してから一週間ほどでリハビリが始まりましたが、当然ですが生まれて初めて脳梗塞になったので、リハビリといっても何をどうするのかまったく分かりません。最初にセラピストがやってきて車椅子に乗せられ、リハビリ室に連れて行かれました。その時は病状の方が大変で、まったく疑問に思いませんでしたが、今思うと脳梗塞後のリハビリの意味とか、何故今リハビリをやるのかとか、説明してからリハビリをやってもらっても良かったのではないかと、脚のリハビリでもセラピスト2人がかりで立ち座りをやり、時々麻痺足に力を入れてくれ言うので太ももに力を入れるとセラピストが「きてる」とか言ってましたが、これって脳神経が脚に指令が行ってるということで「歩く」ということでいえば、とても大きな意味があるはずです。歩けるようになるための第一歩です。ならばその事を患者にきちっと伝えるべきです。セラピストだけが納得しても仕方ないのです。脳梗塞になりこれからどうなるんだろうと、まったく希望がもてずにいる患者に、僅かでも希望をもたすのがセラピストの役目であるはずです。セラピスには当然、知識や経験がありリハビリをやる意味を理解していますが、自分たちだけが理解しても仕方ないのです。きちっとその情報を患者に伝えてこそ意味があるはずです。
リハビリも急性期から回復期のリハビリになると、担当のセラピストの人員や時間も大幅に増えます。セラピストといっても性格や能力、立場など最初はまったく分からないので、どう接すればよいのか分かりませんでしたが、一週間ほどで何となく分かりました。リハビリをする前に主治医と各担当のセラピストが集まり、患者の麻痺の現状を確認します。私の場合、一人介助で立ち座りができたので、最初からガンガン歩かせようということになったようです。これから四ヶ月間みっちりリハビリをやることになるのですが、どのようなプランで四ヶ月間やるのかと思いましたが、脚や手の状態に合わせて進めていくようです。リハビリを受ける立場から言えば、逆算して毎月の目標といいますか、そのような事を提案してもらいリハビリをしてもらった方が、努力目標がはっきりして良いのではないかと思いました。
セラピストといっても誰でも同じかと言うと個々のセラピストにより体に対する思考の違いなどあり、セラピストが掛ける言葉1つでやる気になったりならなかったりします。結局は患者にどこまで信頼されるかによってセラピストの評価が決まるのではないかと思います。リハビリはメンタルの部分が大きく、不思議と同じことをやったとしても信頼できるセラピストであれば、これは無理だろうと思うことでも出来たりするときがあります。セラピストの経験や知識も大切だと思いますが、より「人間力」みたいな物が必要な仕事でもある気がします。その点、若いセラピスなど知識だけが先行して、リハビリというより下手をすると、こちらが練習道具みたいになってしまうこともあります。中には「僕にはできない」「技術がない」などと言うセラピストがいて、逆にこちらが励ましたりしたこともありました。国家資格の試験に合格すればセラピストになれるかもしれませんが、リハビリは生身の人間を相手にするわけで、しかも半身麻痺とい障害を克服できるかは、本人の努力も必要ですがセラピストの責任も大きいはずです。患者から一度でも信頼を失ったセラピストは、よほど努力をしない限り、もう取り返す事はできないと考えた方が良いです。
続く…










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