吉田拓郎とフォーク

2022年8月2日

何気なくテレビを見ていると吉田拓郎の最後のテレビ出演という番組を放送していた、久ぶりに見た拓郎は声は昔のままだが見た目はやはり年老いていた。この番組を最後に全ての音楽活動を引退するとのこと。
中学生の頃、初めて拓郎の音楽を聴いた時、何か字余りのような歌で、その時はあまり興味を持つことはありませんでした。ただ自分で作詞作曲しギターを弾き、自ら歌うフォークという音楽があるのだと知りました。そのころは洋楽ばかり聴いていたので、日本の音楽にあまり興味がなかったのです。
それが一変したのが高校に入学して、新入生歓迎会で先輩が体育館のステージでギター片手に歌った井上陽水の「東へ西へ」を聴いた時、何だこれ!という感じで、もう自分もギターをどうしても弾きたくなったのです。直ぐに入ったばかりの剣道部を辞めて軽音楽部に入り、そして何と言ってもギターを買わなければなりません。親に何とか頼み込み、隣町の楽器屋に自転車で行き一万円のモーリスのギターを買い、ダンボールのケースに入ったギターを抱え自転車で家まで帰りました。それまで音楽というのは聴くもので、自分で楽器を弾きながら歌うなど考えてもみませんでした。
直ぐにギターの教則本を見ながらAm、Cm、Dmのスリーコードから覚え、それから毎日暇さえあればギターの練習をし、半年ぐらで何とか人前で弾けるようになりました。何をやっても長続きすることがなかったのですが、ギターだは続けられたのです。その一年後には、今度は自分が「三年生を送る会」で全校生徒の前でギターを弾き歌うことになりました。その頃はフォーク全盛で吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫、泉谷しげる、NSP、ふきのとう等など溢れていて
その中でも吉田拓郎の音楽は他のアーティストと一線を画していました。デビュー当時は「旅の宿」や「結婚しようよ」など大ヒットした売れ線な曲がありましたが、本来、拓郎の歌はメッセージ性の強い歌からありふれた日常の風景を独特の詞にのせて歌にしていること、歌に共通しているのはストレートな心に残る詩の世界です。デービュー曲の「イメージの詩」は16分にも及ぶ長尺曲で二十歳の頃に作った拓郎が感じた日常の風景をイメージした歌です。何かお経のような淡々と流れてい行きます。しかし若干二十歳でこんな詩が書けるなんて、恐らく日々言いたいことが溢れて仕方なかったのでしょう。拓郎の書く詞は、陽水のようなアバンギャルドな詞でなく、かぐや姫のような男女の物語のような詞でもありません。
拓郎の歌で最も真骨頂として1971年に発売された「人間なんて」とう楽曲があり歌の半分ぐらいは「人間なんてラララ〜」と歌っています。この歌を聴いていると本当に「人間ってなんだろう」と感じてきます。こんなに魂のこもった歌はそうはありません。1971年フォークジャンボリーでの拓郎のステージの「人間なんて」の観客との合唱は伝説的なライブです。歌を聴いているとR&Bのような黒人音楽の魂の叫びみたいなものを感じます。
あれから数十年経ち音楽の世界も全く変わりPCソフトを使い誰でも音楽を作り、それをネットで配信しお金に変えることもできます。好きな音楽をネットで検索すればいつでも無料で聴けます。ある意味、音楽が無尽蔵に溢れてます。
ただその中にどれだけ拓郎が作ってきた音楽のように、人の心に響き聴き手の人生までも変えてしまうような歌が今あるでしょうか。

◯1971年フォークジャンボリーでの拓郎のステージでの「人間なんて」